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【あたり前を喜ぶ~井村和清さん「あたりまえ」】20200314-No136

【あたり前を喜ぶ~井村和清さん「あたりまえ」】20200314-No136

32歳の若さで亡くなられた医師、
井村和清さんの「あたりまえ」という詩をご紹介します。

■あたりまえ

こんなに素晴らしいことを、皆はなぜ喜ばないのでしょう。

あたりまえであることを

お父さんがいる
お母さんがいる

手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける

手を伸ばせば何でも取れる
音が聞こえて声がでる

こんな、幸せはあるでしょうか?
しかし、誰もそれを喜ばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。

食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、 そして又朝が来る。

空気を胸いっぱいに吸える。

笑える、泣ける、叫ぶこともできる。

走りまわれる。

皆な、あたりまえのこと

こんな素晴らしいことを、皆は決して喜ばない。

その有難さを知っているのは、「それを失くした人たちだけ…」

なぜでしょう?

あたりまえ




常日頃から、物が溢れ、物質的な豊かさから様々なことが「あたり前」となっている私たち日本人。

目が見え、音が聞こえ、手・足が不十なく動くことをができるだけでなく、
様々なことがあたり前となっている今「ありがたい…」と思うことは、
意図して機会を作らない限りは先ずありません…。

今の時代は特に、就活生など若者を見ていて「物の豊かな時代に生まれた子どもたちだから…」と言われてしまいますが、
生まれた時には、既に物が溢れていますから物があることは「当たり前」だと思ってしまうのは当然のことだと思います。


ところが、この詩にあるように私たちが当たり前だと思っているものは、
本当に掛け替えのないものばかりです。

以前見た映画に「私の人生なのに」があります。

新体操のスター選手として将来を期待されてきた少女が、ある日突然倒れ、下半身麻痺となってしまいます。
憧れていた夢を突然断たれた主人公は、絶望と孤独に苛まれ、塞ぎ込んでしまいます。

しかし、そんな彼女の事を支えようとして現れた幼馴染…

家族や友人、そして幼馴染の支えから、彼女は、絶望と孤独の中からも何とかして光を見つけようと、一歩を踏み出し始める姿を描いています。



企業にしてみれば、

社員がいてくれること…
お客様がいてくれること…
商品・サービスを必要としてくれるひとがいること…
我が社をささせているパートナー企業がいること…など

全て、あたり前ではありません。


ところが、私たちはそれを当たり前のように思ってします。
私たち人間の思い上がりであり、愚かさであると思うのです。


目の前のあたり前が、当たり前でいてくれることを心の底から喜び、大切にしていくことが出来たら素晴らしいですね。



今日は、ホワイトデーですね!!
単なるお返しではなく、日頃から支えて頂いている方に感謝を伝えていきましょう。



■作者プロフィール

井村和清 1947年富山県生まれ。
     岸和田徳洲会病院の内科医として勤務。
     1977年、右膝の悪性腫瘍の転移を防ぐため、右足を切断。
     しかし、腫瘍は両肺に転移。
     1979年1月、32歳の若さで亡くなる。
     死の直前まで綴った手記が、本人の死後「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」というタイトルとなって出版され、ベストセラーとなる。

     「あたりまえ」は亡くなる直前に作られたものです。




最後までお読みいただき、ありがとうございます。